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高杉正彦 : ミニ英和和英辞書
高杉正彦[たかすぎ まさひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

高杉正彦 : ウィキペディア日本語版
高杉正彦[たかすぎ まさひこ]

高杉 正彦たかすぎ・まさひこ、本名同じ、1955年6月17日 - )は、日本のプロレスラー神奈川県平塚市出身。175cm、110kg。
== 経歴 ==
日本大学在学時はアメリカンフットボールの選手として活動。卒業後の1977年5月に国際プロレスに入門、同年9月4日後楽園ホールでのスネーク奄美戦でデビュー。長らくグレート草津の付け人を務める。国際では菅原伸義(後のアポロ菅原)・冬木弘道(後のサムソン冬木)とともに「若手三羽烏」と呼ばれた。
1981年に国際プロレスが解散後、単身メキシコに渡り、メキシコ遠征後の1982年新日本プロレスタイガーマスクがブームだったこと、ウルトラマンが地方巡業で人気だったことから、全日本プロレスでもテレビ番組のヒーローをモデルにした覆面レスラーを登場させようと高杉自らがジャイアント馬場に売り込んで帰国後、覆面レスラーのウルトラセブンとして全日マットに登場することになった。本人へのインタビューによると日本テレビから全日本プロレスに出向していた松根光雄が円谷プロダクションを説得して正式に許可を得た〔聞き手・ジャン斉藤「私が愛した(?)ウルトラセブン IWA JAPANマニアック・レスラーシリーズ 高杉正彦」『紙のプロレスRADICAL NO.84ワニマガジン社、2005年、pp.112-113〕。とあるが、円谷プロからは「公認した」との広報は一切なく、同社監修本には「公認レスラーはウルトラマンロビンのみ」とされており、高杉セブンは新日のウルトラマンと共に未公認と明記されている。
当時ジュニア王者だった大仁田厚の対戦相手として全日本プロレスのリングに上がり、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座に挑戦するが敗退。以後、全日本プロレスを主戦場にジュニア戦線にて活動するが、その後は二代目タイガーマスクが誕生した事で、素顔に戻され、1985年5月に「国際血盟軍」の唯一の途中加入メンバーとなる。特に目立った活躍もないまま「エキサイティングウォーズ'86」のシリーズ中である1986年3月2日に行われた岩手県陸前高田市民体育館大会(保永昇男戦)をもってカルガリーハリケーンズスーパー・ストロング・マシンヒロ斎藤・高野俊二〈現:高野拳磁〉)と入れ替わるように、剛竜馬アポロ菅原と共に全日を解雇された。なお、解雇前日の3月1日に行われた秋田県立体育館大会は高杉だけがカードから外されていた。
全日解雇後は、フリーランスとして全日の前座で様々な謎の覆面レスラーに扮したり、地元である平塚市で行われる試合にスポット参戦するなど時折活動していたが、1989年に上記の、剛・菅原と共にパイオニア戦志を旗揚げし、剛に次ぐNO.2として新日本プロレスに出場し、剛と組み長州力&佐々木健介組に勝利するが、地味な勝ち方で評価が低く、自主興行において獣神サンダー・ライガーと対戦するも惨敗。
サンダーライガー戦の際にタイガーマスクの佐山聡がスーパータイガーに名乗っていたことに倣って、高杉もウルトラセブンからスーパーセブンと改名した〔。
その翌年の1990年にパイオニア戦志が崩壊、再びフリーランスとして活動する中、1992年に剛が旗揚げしたオリエンタルプロレスに参加するが、剛が若手選手達とのトラブルで同団体を退陣した事により、自動的にエース格となるものの、団体は崩壊。1993年にインディー団体の統括組織であるレスリング・ユニオンに加盟し、IWA湘南を旗揚げ。自主興行のみならず、他の加盟団体にも上がるが、レスリング・ユニオンが活動を停止するに伴い、1996年に湘南プロレスと改称し、現在も活動している。湘南プロレス旗揚げと同時にリングネームを本名の高杉正彦から高杉政彦に改名している。
現在は、地元の平塚市でトレーニングジムを経営する傍ら、自主興行の他にも時折インディー団体に出場し、高杉政彦とウルトラセブン(スーパーセブンから元に戻す)のリングネームを使い分けながら小規模ではあるが活動している。
2012年2月、長男の高杉祐希が、インディー団体「頑固プロレス」へ練習生として入団。9月2日、西調布格闘技アリーナにおける頑固プロレス「第130回IWA定期戦」において、盟友・剛竜馬の弟子である松崎和彦を相手にデビューした。10月7日に行われた西調布格闘技アリーナにおける頑固プロレス「湘南パイオニアシリーズ」の第三試合「剛竜馬メモリアル」タッグマッチにおいて、祐希とタッグを組む日本のプロレス史上初の父・息子タッグが実現〔父と娘ではグラン浜田ソチ浜田浜田文子のケースがある。子供レスラーを含めると、佐藤泰と佐藤力やミスター6号という父・息子タッグや、石井美紀きのこという母・娘が居る。〕。松崎和彦・ドラゴンユウキ組と対戦し、祐希が松崎のジャンピングネックブリーカードロップからの体固めで敗れた。
全日本プロレス退団後もウルトラセブンのリングネームを使っていることについては、当時の関係者は既に亡くなっており、プロレスラーとしてテレビに登場もしないから大丈夫ではないかとしている〔。
2013年8月に鶴見五郎が引退したため、唯一の国際プロレス出身現役レスラーとなった(アポロ菅原は引退こそしていないが長期間レスラー活動をしていない)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「高杉正彦」の詳細全文を読む




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